「達人伝」感想(第189話・天籟)
「達人伝」感想(第189話・天籟)
「蒼天航路」の王欣太(キングゴンタ)先生が連載している「達人伝」のあらすじと感想を紹介します。
今回の「第189話・天籟」は,よもやよもやの展開です!
【目次】
達人伝〜天籟〜
まず,タイトルの「天籟」(てんらい)。
ふつうに「籟」(らい)が読めませんでした。
白川静先生の字通で調べたところ,3つの穴がある竹管楽器のふえ。
大きいふえは笙(しょう),小さいふえは葯(やく),そして中くらいのふえが籟(らい)。
「天籟」についても記載がありました。
自然の吹き起こす音,すぐれた楽音や天の啓示をいうのだそうです。
まさに,扉絵の「天の声を聞け!!」とあるとおりですね。
<荘丹〜漫画アクション2022/3/1発売号「達人伝」より〜>
達人伝〜荘子の天籟〜
さらに,荘子・斉物論には「人籟は則ち比竹是のみ」の記載があります。
全文は以下のとおり。
子游(しゆう)曰わく,地籟(ちらい)は則ち衆竅(しゅうききょう)これのみ。人籟(じんらい)は則ち比竹是れのみ。敢えて天籟(てんらい)を問う。
子綦(しき)曰わく,夫(そ)れ吹くこと万(よろず)にして同じからざれども,而(しか)も其れをして己(おのれ)に自(したが)わしむ。咸(ことごと)く其れ自(み)ずから取るなり。怒(おと)たてしむる者は,其れ誰ぞや。
意味は,以下のとおりです。
子游が「地籟(地のふえ)とは,様々な穴のこと,人籟(人のふえ)とは竹管のことですね。天籟(天のふえ)とは何なのでしょう?」と尋ねた。
子綦は,「穴や竹管など、音を立てるものは様々で同じではないが,それぞれ自分の音を出している。それぞれ自身の原理によって,響きをなす。響きを起こす,何かが存在するのであろう」と答えた。
ちょっと難しいですが,以下は私なりの解釈です。
天とは,地や人を超越する,神秘的で不可解な神がかったものではない。
地が地であり,人が人であること。
すなわち,天とは,天然自然のあるがままのリズム,法則のようなものである。
何やら雲をつかむような話です。
深くは理解できていないのですが,おおむね荘子は上記のようなことを言いたかったのではないでしょうか。
そして,この内容は,今回の達人伝「天籟」とも関わってきます。
<荘丹vs麃公〜漫画アクション2022/3/1発売号「達人伝」より〜>
達人伝〜荘丹vs麃公〜
さて,物語の紹介です。
丹の三侠のひとり,無名(ウーミン)。
秦将・麃公(ひょうこう)に剣を飛ばされたものの突撃。
すれ違う間際,馬を飛び降りながら,麃公の馬首を蹴飛ばします。
かわいそうに,麃公の剣で首を斬り飛ばされる無名の馬……
さらに,麃公の馬首を,拳で下から突き上げる庖丁(ほうてい)。
麃公は,鞍から体が飛び上がった状態。
荘丹(そうたん)は,「無名 庖丁と調和し」と,秘剣モードで麃公に向かいます。
「三位一体だ!?」「所詮 すでに見切った武にすぎん」と待ち構える麃公。
「天の籟(ふえ)の音(ね)と響き合う」と荘丹。
<麃公vs荘丹〜漫画アクション2022/3/1発売号「達人伝」より〜>
右手で斬撃を振り下ろすと見せかけ,ノーモーションから左手で剣の突きを繰り出す麃公。
が,荘丹に見切られ,「え!?」となります。
さらに,左から右へを薙ぎ払い,返す刀で麃公の首を斬り飛ばす荘丹。
派手に血を噴き出す麃公の体。
空高く舞い上がる首。
眼下に見える函谷関の景色。
「ああ おおっ」「ただ今 帰ったぞ」「俺の楽園 函谷関」
麃公は,幸せな夢を見ながら逝ったのかもしれません。
<楽園へ旅立った麃公〜漫画アクション2022/3/1発売号「達人伝」より〜>
達人伝〜天地人の籟〜
衝撃の展開!
ホームである「俺の函谷関」で丹の三侠を手玉に取り,無双状態だった麃公を,荘丹が討ち取ってしまいました。
前回,秘剣モードの無敵状態に入った荘丹ですら,麃公は一蹴。
なぜ,荘丹は麃公に勝つことができたのか?
ヒントとなるのが,先に紹介した地の籟,人の籟,天の籟。
中国では古来より,この「天地人」という考え方(物事の捉え方=フレームワークといってもいいかもしれません)があります。
「天の時を得た曹操,地の利を得た孫権に対し,劉備は人の和をもって対抗すべし。すなわち天下三分!」と説いた諸葛亮(孔明)を,「天才だな!」と感嘆したものです。
厳密には,天地人と天下三分は別物でしょう。
諸葛亮が主張したのは天下三分だけかもしれません。
いや,天下三分すら,諸葛亮のオリジナルアイデアではないでしょう。
当時の知識人なら,「曹操と孫権は強すぎて倒せない。残りのニッチなところを狙うしかない」と論理的に考えたら帰結する常識的な戦略であると。
しかし,です。
古今東西の歴史を俯瞰すれば,誰も彼もが当たり前のように天下統一を目指すなかで,「無理に統一しなくていい」「天下を三分しよう」と構想し,結果的にそのとおりになった(もちろん,諸葛亮の力だけで実現したわけではなく,偶然の要素の方が大きいですが)という1点において,諸葛亮は評価されてしかるべき人物ではないか,と思います。
余談ですが,諸葛亮の評価は分かれています。
三国志演義を読むと,超人的な活躍をする天才軍師として描かれており,巷の人気は圧倒的に高い。
一方,政治家や発明家としては優秀だったけれど戦争は弱かったという評価や,出口治明さんなどは,諸葛亮は後世の歴史の評価を重視して無茶な北伐を繰り返し蜀の滅亡を早めた,民にとっては負担ばかり強いるひどい為政者だった,と辛口です。
ゴンタ先生も,諸葛亮のことはあまり高く評価していないように思います。
「蒼天航路」で描かれた諸葛亮は,ぶっ飛んだキャラクターですが,それ以上に驚きの事実が記されています。
すなわち,正史・武帝紀(曹操伝)には,「諸葛亮孔明」の名前はいっさい登場しない,と。
これは,本当に驚きの事実で,目から鱗の解釈です。
しかし,曹操自身の伝記にその名が登場しないということは,曹操が諸葛亮について直接的に評価したことや言及したことはない。
つまり,曹操の眼中にはなかったことを示唆するであろうと。
諸葛亮ファンの人からすれば,びっくり仰天。
吉川英治氏の三国志などでは,曹操は「諸葛亮さえいなければ……」と相当に悔しがった様子が描かれています。
事実は,どうだったのでしょう?
もし,「曹操は,諸葛亮を目の上のたんこぶと思っていた」というのが事実なら,強烈に意識していたからこそ,曹操は諸葛亮を無視してあえて言及することはなかった,とも考えられます。
ただ,曹操は,関羽のようにたとえ敵であろうと,才ある者は広く受け入れる度量の人物。
しかも,曹操の配下には,荀彧,荀攸,郭嘉,賈詡,司馬懿はじめ優秀な軍師・参謀が揃っていたことを考えると,やはり曹操の基準では,諸葛亮は「劉備の家臣トップ20のうちのひとり」くらいの認識だったのかもしれません。
<諸葛亮孔明〜蒼天航路コミック24巻その276「赤き壁ー昇華ー」より〜>
余談ついでに。
個人的には,諸葛亮の大きな功績のひとつに,劉備を「漢中王」としたことがあると思います。
詳しくは,「蒼天航路」コミック34巻を読んでいただけるとよく理解できるのですが,当時は漢朝と帝が存在しており,曹操は帝から「魏王」に任じられていました。
それに対して,劉備が勝手に「曹操が魏王なら,おれは蜀王だ!」とか自称したら,帝に正式に認められたわけでもないため,ただの謀反扱いでしょう。
ところが,ここで効いてくるのが,「漢中王」という称号。
もともと,中原を追われた漢の高祖・劉邦が反転攻勢を開始し,やがて項羽を破って覇者となる始まりの地が,漢中。
つまり,漢中こそ,漢王朝の聖地。
「漢中王」という言葉は,そのような「漢の起源」を人々に思い起こさせるもの。
「漢朝を復興させる」と唱える劉備が「漢中王」を名乗ることで,漢朝に対する謀反どころか大義が備わる。
不義どころか,義の中心に鎮座したまま,天子を超える王となる。
天下の人々は,ふたりの劉氏をひとつに結ぶ。
さらに,曹操は項羽のような悪者に見えてくる,という算段です。
キャッチコピーの天才・諸葛亮。
これには,さすがの曹操もたまげたことでしょう。
そして,当時の人々が受けたであろう衝撃を,あざやかに解釈して現代に蘇らせたゴンタ先生の手腕には唸るほかありません。
<漢中王の称号に衝撃を受ける曹操〜「画伝・蒼天航路」より〜>
達人伝〜天地人の普遍性〜
さて,脱線が長くなりましたが,「天地人」の考え方は,ゴンタ先生の「蒼天航路」にも登場します(黄巾の乱)。
また,「天地人」は現代にも通用する考え方です。
天の時。
すなわち,タイミングを得なければ,遅いのはもちろん,半歩先を行くくらいの機会をつかまないと,早すぎても成功できない。
地の利。
すなわち,場所によるハンディやメリット・デメリットは,インターネットが世界中を繋ぎフラット化してきているとはいえ,地政学のような形で厳然と存在します。
人の和。
すなわち,優秀な人材がいても協力体制がなければ組織の力は発揮できず,クーデター等により内側から崩壊することもあるでしょう。
荘丹は,無名と庖丁が作ってくれた「人の籟」を活かし,「天の籟」と響き合い,「地の籟」を聞いた。
その不思議な力により,無双状態の麃公を破ることができたのでしょう。
達人伝〜函谷関制圧〜
無名は入関を指揮,庖丁は先陣を潼関に向けて進発するよう指示を出す荘丹。
荘丹は,「秦本隊のすべての戦意を奪い取る」と言います。
麃公を討ち取り,その首を城頭で掲げ,函谷関を制圧したと宣言する無名。
連合軍の士気は否が応にも盛り上がり,秦軍には動揺が広がります。
さあ,難攻不落の函谷関が抜かれました!
はて,函谷関を巡って,秦と合従連衡軍が激戦を交わした記憶はありますが,史実では,函谷関が抜かれたことはあったのでしょうか?
前回の188話では,じわじわと連合軍の不安要素が出てきて,てっきり函谷関は抜けないものと考えていました。
函谷関へ向かう連合軍や秦軍とは,反対方向へ向かう荘丹。
その向かう先は?
<函谷関を出る荘丹〜漫画アクション2022/3/1発売号「達人伝」より〜>
達人伝〜龐煖vs蒙驁〜
「ま まさか…麃公が!?…」と驚く秦軍総帥・蒙驁(もうごう)。
「函谷関を知り尽くしておるあの麃公が!?…」「いや!馴れこそは変事への対応を妨げる元凶か!」
勝手知ったる函谷関だから大丈夫という安心感こそが,想定外の事態への対応を誤らせる原因となったのかと,蒙驁は喝破します。
「函谷関を奪われてはならん!万が一にも函谷関を奪われるようなことがあってはならん!」と急ぐ蒙驁を追撃する連合軍総帥・龐煖(ほうけん)。
左後方から迫る龐煖に,左手の剣で応じる蒙驁。
続いて,龐煖は右後方から斬撃を仕掛けるも,蒙驁は右手に剣を持ち替えて対応。
2人の間に秦兵が介入。
攻撃がかすり,一瞬ひやりとする龐煖。
<龐煖vs蒙驁〜漫画アクション2022/3/1発売号「達人伝」より〜>
これまで,将の一騎打ちに兵が介入することはあまりなかったように思いますが,実際当時はどうだったのでしょう?
名のある将軍同士の一騎打ちに兵は介入しない,という不問律があったのでしょうか?
私は,基本は乱戦で,たまに将同士の一騎打ちが見られるくらいだったのではないか,と想像します。
なぜなら,戦場では,数的優位に持ち込んだ方が圧倒的に有利。
兵は,隙あらば手柄首を狙うのが常で,「兵が将同士の一騎打ちを邪魔するな!」ということはなかったのではないでしょうか?
日本は,少々異なったかもしれません。
名と礼儀を重んじ,たとえば元寇の際に鎌倉武士が「やあやあ,我こそは…」と悠長に名乗っている間に元軍の兵士に討たれた,という笑い話があります。
戦国時代には,そのような風潮もなくなったようですが。
ちなみに,猛者といわれる武将は,一度の戦でどれくらいの人数を倒したのでしょう?
可児才蔵(かにさいぞう)。
戦国最強武将といわれた才蔵は,関ヶ原の戦いで20個の首級を挙げ,家康に賞賛されたエピソードがあります。
一騎当千という言葉や,100人斬りみたいな伝説もありますが、現実には10人,20人も倒せば凄いのだな,とわかる話です。
達人伝〜荘丹vs蒙驁〜
蒙驁と龐煖が五分の一騎打ちを演じているところに,荘丹が参戦。
<荘丹vs蒙驁〜漫画アクション2022/3/1発売号「達人伝」より〜>
駆けつけた勢いのまま,蒙驁に斬りかかる荘丹。
荘丹の剣は,蒙驁の腹部と馬首を切り裂きます。
馬上で仰向けにのけぞる蒙驁。
なんと荘丹は,麃公に続き,秦軍総帥の蒙驁まで一刀の下に斬り伏せてしまいました。
蒙驁さんは,連合軍の将たちと戦いまくり,満身創痍でボロボロ。
だとしても,荘丹の無双状態は刮目すべし。
秦軍の要となる蒙驁と麃公を欠いた秦軍は,もはや函谷関も抜かれ潰走するほかない?
いよいよ,連合軍の緒戦勝利は目前!?
次回の展開をお楽しみに!
<荘丹vs蒙驁〜漫画アクション2022/3/1発売号「達人伝」より〜>
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