【話せる幸せ】話せないこと,話せなくなるということ

【父の状態】

父が心臓手術(僧帽弁置換術)をしてICU(集中治療室)に入り,45日目を迎えました。

 

人工呼吸器をつけていて話すことができず,常時,鎮静剤を使用しているので全身を動かすことができず,目は見えているのかどうか反応はにぶく,かろうじて耳は聞こえているのではないか,という状態です。

今日も病院で医師の説明を聞いてきて,これまで何度か厳しい状態を乗り越えてきましたが,今回はさらに非常に厳しい状態を迎えています。

 

原因は特定できないが,消化器官のどこからか出血しているためか,血小板の減少が著しく,脳や臓器が出血したら止まらなくなる危険性が高い。

そのため,2日に1回はしなければならない人工透析がもう4日も実施できておらず,老廃物が体内に溜まっている。

 

また,人工呼吸器をつけているが,呼吸が次第に浅くなってきたため炭酸ガスが体内に溜まってきており,いま人工呼吸器を外せる状態ではとてもないが,長期間使用を続けることで肺が硬化,劣化して機能しなくなる。

炎症反応の数値も高く,通常7〜10回程度で効果を見極めて終了する血小板輸血の8回目を実施したが,残念ながら血小板は減少してしまった。

 

まさに八方ふさがりというか,3週間ほど前,病状が悪化して夜中に病院に呼ばれた時は根拠なく「なんとかなるのではないか?」と思っていた私も,今回は本当に厳しい状態と感じています。

前回は新月の時に重篤な状態となったので,今回もなんとなく数日後の新月あたりが正念場になるのではないか,というような予感がしています。

 

もちろん,医師は全力を尽くしてくれており,私たち家族も毎日見舞いに行って励ましの言葉をかけたり,手足のマッサージをしたり,ビバルディやサラ・ブライトマン,クイーンなど父のお気に入りの音楽を流したり,できる限りのことをしています。

 

子どもたちが励ましの絵や手紙を書いてくれたので,それを病室に飾ったり,寝ている父の目の前にかざして見せたり,子どもたちと一緒に家族4人でブルーハーツの「トレイン トレイン」を歌った動画をタブレットで見せて聴かせたり,様々な形で励ましのメッセージを伝えています。

【話せないということ】

手術から3日後,肺炎のため呼吸機能が急激に低下して人工呼吸器をつけて以来,父はもう6週間も話すことができていません。

小学生の娘が「はい」「いいえ」の大きなカードを紙で作ってくれましたが,鎮静剤のためか見えているのか見えていないのか,瞳を左右に動かして意思表示することもできません。

 

どこが痛い,苦しい,暑い,寒い,だるい,かゆいといった負の感情を訴えることができません。

反対に,楽だ,快適だ,大丈夫,がんばる,うれしい,ありがとうといった正の感情を伝えることもできません。

 

父は延命治療は拒否すると意思表示しており,もしかしたら「これは,治る見込みがないのに実施している延命治療じゃないのか?だったら,おれの意思と違うじゃないか!」と誤解して怒っているのではないか?

父の心中は,うかがい知ることができません。

 

ただ,話しかけるとたまに目を見開いたり,パチリとまばたきしてうなづくような仕草や,眉間やおでこにシワを寄せて苦しそうな表情を見せることもあります。

いろいろ話しかけていると,すーっと涙を流すこともあります。

【もし急に話せなくなったら?】

ある日突然,話せなくなったらどう感じるでしょうか?

私たちは,言語が通じない外国人と話すだけで,とてつもないストレスを感じます。

外国人相手であれば,身振り手振りで意思疎通を図ることもできますが,病気や事故のため寝たきり状態になって話せなくなったら,そのような方法も困難でしょう。

 

「まさか,こんなことになるとは!」という戸惑いから始まり,やがて怒り,あきらめといった感情へ転じていくのではないでしょうか。

【話せるという幸せ】

私たちは,話すというコミュニケーション行為を当たり前のように行っていますが,これはとても幸せなことなのかもしれません。

そういえば以前,ある離島へ行った際,一人暮らしのおばあさんに話しかけられました。

数年前に病気でつれあいがなくなり,何がつらいといって話し相手がいないことがつらい,毎日テレビに向かって話しかけているんだ,と寂しそうに話していました。

 

話したくても,話せない。

話したくても,話し相手がいない。

 

ただ,生きているだけ,ただ話すことができるだけで,人は幸せを感じることができるのかもしれません。

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<Photo by Cristina Gottardi on Unsplash>

【まとめ】

父は,足の指先の一部が壊死してきており,今回の危機的な状況を乗り切って退院したとしても,入院前と同じような生活を送ることはおそらく難しいでしょう。

それでも,いい。

たとえ,体が不自由になろうが,どんな姿になろうが,「ただいま!」と家に帰って来て,「さて,ニューヨークへ行こうかな。入浴,入浴!」など,得意のオヤジギャグを炸裂させ,たわいもない話ができる日を願っています。