感染症・肺炎の恐ろしさ〜新月の危機を乗り越えて〜
父(71)の体調がすこぶる良くありません。
5月16日(木)に心臓手術(僧帽弁置換術等)を受け,3週間経つ6月8日(土)現在も,いまだ集中治療室を出られません。
肺機能,肝機能,腎機能の低下が重なり,人工呼吸器や心臓を動かす装置,肺の水を抜く装置はじめ,多くのカテーテルにつながれている状態です。
中でも恐ろしいのは,肺炎による呼吸機能の低下です。
レントゲン写真やCT写真を見せてもらったところ,手術前や数日前と比べて白い影の面積が増えており,肺機能の低下が察せられました。
激しい運動をしてバテてくると「アゴが上がる」と言いますが,父も少しでも多くの酸素を取り入れるため,下アゴを天井方向へ動かして喘ぎながら呼吸している状態です。
1年前,私も肺炎で入院したことがあり,独特の息苦しさ,40度の高熱,血痰が出る苦しさは理解できます。(父はもっともっと苦しいでしょうが)
心臓手術をした後,亡くなる患者の一定割合は感染症が原因だそうです。
なぜ感染症になるかというと,もともと体内にいた細菌が暴れ出したり,カテーテルなどを通じて体内に侵入するとのこと。
体力のある健康体であれば簡単に撃退できる細菌が,手術後の弱った状態だと簡単に侵入を許してしまうのです。
特に慢性腎不全の父の場合,14年間人工透析を続けてきて,心臓はじめ体全体が弱ってきており,3年前も肺炎で入院しました。
腎機能や心機能を補うため多くの薬を常用してきており,薬への耐性のある菌など3種類が検出されたそうで,通常であれば強い抗生物質を投与するところですが,腎機能が弱く薬の毒性物質を排泄できないため,バランスを見極めながら投与しているとのこと。
「ストレス侵襲」という言葉も,はじめて知りました。
長時間にわたる切開手術により生理的に激甚なストレスを受け,体力いわゆる免疫力が低下してしまうそうです。
だからこそ,患者の身体に負担をかけないよう短い時間での手術が必要ですが,父の場合,心臓弁の石灰化が想定以上に進行しており,石灰の除去はじめ計4つの手術を終えるのに9時間半ほどかかりました。
担当医師は全力で執刀してくれたと信頼しているので,責めることはできません。
医師や看護師の説明を聞くにつけ,身体は有機的,総合的につながっていると痛感します。
肺の状態が悪くて血圧も上がらないため,透析ができない,透析ができないと老廃物を排出できないためそれを分解する肝臓に負担がかかる,肝臓に負担がかかることで黄疸が出るという悪循環です。
では,血圧を上げる薬をバンバン投与すればいいかというと,血圧を上げる薬は血管を収縮させることで血圧を上げるため,手足の指先など末端の血管が細くなって十分な血流が行き渡らず,壊疽の危険があります(実際,黒く変色してきました)。
よって,肝臓に負担をかけない弱めの抗生物質を使って呼吸機能の回復→血圧が上がる→透析をする→老廃物を排泄する→肝機能が回復するという好循環を目指している状況です。
じつは,6月3日(月)夜9時に容態が急変したと病院から電話があり,慌てて駆けつけて医師の説明を聞いたときは,半ば覚悟を決めました。
父は限界を超えて激走したマラソンランナーのように,見たことがないほどひどくゼーゼー人工呼吸器越しの呼吸をしていました。
その日,急激に呼吸機能が低下したそうで,その変化があまりに急だったので,もしやと思って医師は連絡をくれたのでした。
母や妹は泣いており,私もいよいよかとも思いましたが,心のどこかで「まだだ!」という気がしていました。
その日は新月でした。
俗説かもしれませんが,「満月の時に生まれる子供が多い」という説があります。
満潮や干潮を引き起こす月の大きな重力によって子供が生まれやすい,というもの。
満月が「生」と縁があるとすれば,新月は「死」と関わりがあるかもしれません。
<Photo by Pixabay>
しかし,その危機は乗り越えました。
いつ容態が急変するかわからず,まだまだ予断を許さない状況ですが,私はどうにもまだ父が死ぬ気がしないのです。
厳しい現実の受け入れを拒絶しているわけでもなく,希望を信じて前向きに楽観視しているわけでもありません。
自分自身に関してはほとんど抱くことのない「根拠のない自信」というやつです。
新月の日をピークとして,以降,横ばい〜やや改善してきており,少なくとも悪化していません。
医師も「チャンスはある」と語ってくれています。
毎日見舞いをして話しかけたり,手や足をさすったりすることくらいしかできませんが,父の回復を祈り,信じて,励ましを続けていきたいと思います。
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