本能寺を訪ねて〜我は本能寺にあり!〜知られざる織田信長と本能寺の秘密
先日,京都の本能寺へ行ってきました。
この辺りかなと探していたら,ホテル本能寺?
本能寺ホテル?はて,そんな映画があったような……
さて,こちらが本物の本能寺。
「本能寺の変」と言えば,明智光秀が織田信長にクーデターを起こした戦国史上もっとも有名な事件。
日本史はまあまあ知っているつもりでしたが,本能寺を訪ねることで様々な発見がありました。
【目次】
- 【本能寺の変①:信長ってこんな顔!?】
- 【本能寺の変②:本能寺のノウがおかしい】
- 【本能寺の変③:本能寺は日蓮宗のお寺だった】
- 【本能寺の変④:信長が自刃したのはここではない】
- 【本能寺の変⑤:信長がお茶を愛した真の理由】
- 【本能寺の変:まとめ】
【本能寺の変①:信長ってこんな顔!?】
本能寺には信長の肖像画が展示されています。
あれ,むかし教科書で見たのとぜんぜんちがう!?
< 館内は撮影禁止につきパンフレットの写真を撮影>
信長は本能寺に泊まったので,そこに代々伝わる肖像画と言われると,「こっちが本物!?」と,なんか説得力ありますよね。
信長といえば「鬼」「暴君」のイメージですが,教科書も本能寺の肖像画も「意外とやさしそう」「あっさり系」という点では共通してますが(笑)
【本能寺の変②:本能寺のノウがおかしい】
下の写真をよくご覧ください。
本能寺の「能」の字のつくりが,カタカナの「ヒ」ふたつでなく,「去」みたいな漢字です。
これは歴史上,本能寺が様々な事件に巻き込まれ5度の火災に遭ったため,あえてこのような字にしたとのこと。
「もう火(ヒ)はイヤだ!」
「本能寺の能の字には『ヒ(火)』が2つも含まれているじゃないか!」
「ヒ(火)よ,去れ!」
という理由で,写真のような漢字になったそうです。へーへー。
【本能寺の変③:本能寺は日蓮宗のお寺だった】
信長は長島一向一揆を虐殺したり,比叡山延暦寺を焼き討ちしたり,仏教の中でも浄土真宗や天台宗は大嫌いなはず。
では,どこの宗派のお寺を宿泊所にしたのだろう?と思ったら,日蓮宗のお寺でした。
ちなみに,変の前日,信長は茶会を開催。
晩餐会の後,夜10時頃から本能寺と寂光寺のお坊さんの囲碁対決を観戦。
その頃,光秀の軍勢がヒタヒタと京を目指して押し寄せていたわけです。
<登録有形文化財の本堂>
【本能寺の変④:信長が自刃したのはここではない】
じつは,信長が自刃して焼失した本能寺は,ここでありません。
当時の本能寺は南西にあり,本能寺の変の後,現在地に再建されたのです。
(当時の本能寺は石碑が立つのみ)
そういえば,加藤廣さんの歴史小説「信長の棺」によると,信長が少ない警護兵とともに本能寺に宿泊したのは,万一の時に脱出できる秘密の地下通路を用意していたため。
実際,変の時も地下通路から逃げようとしたが,ひそかに裏切っていた秀吉によって途中でふさがれており,火事の熱気のため信長は通路内で窒息死。
小説では,秀吉が秘密の地下通路と自分の裏切りを隠すため,信長が死んだ秘密の地下通路上に現在の本能寺を再建させたとしており,もしかするとそれは真実かもしれません。
<本能寺の織田信長公廟:信長の遺体は見つかっておらず,ここにはない>
<コラム:中国大返しの謎>
本能寺の変の後,光秀は信長の首や遺体を必死で探したものの見つからず。
たとえ火事で焼けようと,狭いお寺の敷地内から遺体自体が消えることは,ふつう考えられません。
そのため,「首がない?」「本当に信長は死んだのか?」と疑った諸将が光秀に味方するのをためらっているうちに,毛利氏と対戦中だった秀吉が引き返してきます(中国大返し)。
本能寺の変が6月2日早朝。
秀吉は2~3日には変を知ったとされ(早い!),数日で毛利との講和をまとめ(速い!),6日頃には備中高松常(岡山)を出発,同13日に山崎(京都)着。
200キロの道のりを8日間で踏破。1日25キロ。
現代の感覚でも,「毎日25キロを8日間歩け!」と言われたら,相当しんどい。
しかも,何千何万の軍勢が10~20キロの鎧を身につけ,飯を食べ,用を足し,野宿しながらの移動なので,行軍のロジスティックス(段取り)がめちゃくちゃ大変。
とにかく,このときの秀吉は万事段取りが良くて,行動が速すぎ。
これが,「秀吉は光秀と共謀して謀反を起こした」と推測される根拠です。
【本能寺の変⑤:信長がお茶を愛した真の理由】
信長がお茶を愛した理由として,「荒くれ者の部下に教養ある立ち居振る舞いを教えるため」「当時は茶器が高値で取引されており,自分の力を天下に誇示して部下に恩賞として与えるため」など言われますが,興味深い説が示されていました。
それは,「信長は下戸でお酒が飲めなかったため,社交の手段としてお茶を流行らせた」というもの。
交流,おもてなし,ねぎらいの社交場としてお酒は必要だが,お酒が飲めない信長はまったくおもしろくない。
周りは酔っ払って盛り上がっているのに,天下統一を目指す信長がお酒をぜんぜん飲めないのは,格好がつかない。
そこでノンアルコールのお茶会を開いた,というわけです。なるほど!
【本能寺の変:まとめ】
「人間(じんかん)五十年 下天の内を比べれば 夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり 一度(ひとたび)生を享け(うけ) 滅せぬもののあるべきか」
桶狭間の戦い前,信長が唄ったとされる敦盛の一節。
現在の本能寺は,変の後に再建されたものとはいえ,「つわものたちの夢の跡」を偲ばせる雰囲気を十分に持っています。
大寶殿の拝観料は500円,他は無料。
30分もあれば見られるので,信長好き,歴史好きの人にはイチオシスポットです。
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