慢性腎不全のため人工透析している父が心臓の僧帽弁置換術等を受けて
父(71)の体調がすこぶる良くありません。
父は37歳で慢性腎不全と診断。その後,食事療法を続けてきましたが,40代後半で人工透析することに。
50歳の時に父の母(私の祖母)から腎移植を受け,一時的に透析が不要となりましたが,57歳で移植した腎臓が拒絶反応を起こしたのか機能しなくなり,以後14年間,透析生活を送ってきました。
ここ数年間は,血圧は低いのに心拍数が高い状態が続いており,透析できなくなる恐れがあることから,心臓の僧帽弁置換術などを実施することになりました。
心臓の弁の石灰化が進んだことなどにより,その機能が3分の1〜4分の1程度に落ちているとのこと。
5月16日(木),10時間近い心臓手術(僧帽弁置換術等4つ)を行い,無事成功。集中治療室で経過観察。
5月18日(土),見舞いに訪れると,声がくぐもってろれつが悪く,話し方が酔っ払いのように少々おかしいものの,氷が食べたいなどワガママぶりは健在で,まずまず元気な様子。
5月19日(日),夜9時に病院から電話があり,人工呼吸器と人口肺装置を装着することに。
5月21日(火),見舞いに訪れるも,鎮静剤が効いていて目覚めず。炎症反応あり。肺全体に白い影があるので肺炎のためと思われるが,じつは入院前から炎症反応は続いていたため,移植して機能しなくなった腎臓が影響を与えている可能性もあり,炎症反応の原因は特定できないとのこと。
両足の指先と右手の指先が黒く変色し始める。心臓の薬の副作用ではないかとのこと。
5月25日(土),見舞いに訪れるも,鎮静剤が効いていて目覚めず。顔色は良い。心臓を動かす機械,人工透析の機械,尿をとるカテーテルなど全身が管だらけ。
覚醒状態にある方が本人にとっては痛みを感じて辛く,眠っていた方が回復が早いとの説明。
5月27日(月),人口肺装置を外す。肺機能が回復してきたため。
5月29日(水) ,見舞いに訪れると,目を開いている状態だが,まだ鎮静剤が効いているようで意識がぼーっとしているのか,呼び掛けへの反応はほぼなし。ほとんどまばたきをせず,目の焦点は天井を見たまま。
むくんでいる左手をマッサージして話しかけるが,握り返すなどの反応はなし。
顔色がやや黄色く,黄疸が出ているとのこと。CT検査の結果,肺にまだ影があり,脳は異常なし。
透析患者が心臓手術を受けると,腸が腐敗して死に至るケースが何割かあるが,そのような状態にはなっていない。手足の指先が黒く変色しているのは,命に直結する人体の重要な臓器を守るため,血液が末端まで十分に行き渡っていないため。心拍数がやや高めになるよう機械を調整したり,電気毛布で温めたりといった処置を試みている。
5月30日(木),母が見舞いに訪れると,より黄疸が進行して前日より顔色が黄色に。首から胆汁を吸い取るカテーテルを挿入。徐々に鎮静剤を弱くしており,医師の呼びかけに反応して驚いて起きる。かなり痛そうな表情をしていたとのこと。
CT検査をしたところ,腸に便が残っており状態が良くない。一部を切除しても,切除部分から癒着が起きてしまうとのこと。
母は,目の前の現状が手術前の想定より悪かったため,なぜこうなったとか,どうしてああなったとか,現状の理由・原因が気になり,納得がいかない点もあるようです。
手術自体は成功したはずで,術後3日間は会話もできたのに,その後すぐ寝たきりのような状態になってしまって11日が経つので,受け入れられないのも無理はありません。
憎まれ口を叩き合いながらも,45年間ほど連れ添ってきた相棒であり,「手術をしない方が良かったのではないか?」「万が一……」と考えてしまう気持ちも理解できます。
毎日,片道1時間ほどかけて見舞いに行き,1日ごとの父の体調の変化の大きさに気をもみ,夜もよく眠れず,目が覚めてしまうそうです。
私は,自分でも不思議なほど冷静です。
なぜ?なぜ?という思いよりも,とにかく早く父が回復してほしい,手段や方法はどうあれ病院は精いっぱいのことを十分してくれているだろう,私たち家族はそれを信じるしかない,父の生きる力を信じて励ましを送るしかない,と考えています。
もちろん,万一の可能性も考えられます。
非常にドライな言い方かもしれませんが,全身を管につながれて,十分な意思表示もままならない姿を目の当たりにすると,この状態から健全に回復するのは奇跡的にすごいのではないか,という気がします。
父は延命治療は希望しないと明確に意思表示しており,現在は回復治療に向けて全力を尽くしている状態ですが,今後もしかすると延命治療を検討する状態に至る可能性もあります。
父は最近ようやく仕事を完全リタイアしたところで,高齢者の事故多発報道を受けて車も手放したところでもあり,始末が良すぎます。
何十年も前からやりたいと言い続けてきた絵描きや物書きを,ようやくこれから始めようというタイミングで旅立つのは,あまりにもったいない!
子として父を誇りに思い,感謝していますが,家族のため捧げてきた時間や人生を,これからは自身のために思う存分使ってほしいのです。
父の回復を祈る日々です。