東日本大震災の記憶(3/3)
2011年3月11日の東日本大震災から8年。
振返ると,暗い重い記憶ばかり思い出されますが,想定外の「絆」への感動,感謝もありました。
【目次】
【1,兵庫から駆けつけてくれた友人】
震災から2ヶ月後,大学時代の友人が兵庫から車で駆けつけて来てくれました。
友人は,熱い激励メッセージの寄せ書きと,無数の折り鶴が貼られた大きな模造紙を持って来てくれました。
友人は,1995年の阪神淡路大震災で被災。
「あの時おれたちは,全国の人たちに助けてもらった。今度は助ける番や」
「経験上,短期的な支援はいろいろあるけど,中長期的な支援は難しい」
「でも,これだけは約束できる。絶対に,東日本大震災を忘れへん」
「忘れないことがどれだけ大切か,それだけはよくわかっている」
彼の言葉に,熱い想いがこみあげてきました。
【2,東京都からの応援職員】
震災復興支援業務に従事する中,もっとも懸念されたことのひとつはマンパワー不足。
お金や物資が様々な形で集まってきても,活用する人手が足りないのです。
そんな状況の中,東京都がいち早く応援職員を派遣してくれました。
この応援職員の存在がどれだけ助かったことか,感謝してもしきれません。
ほとんどの職員が組織からの命令ではなく,志願して赴任し,熱意を持って黙々と仕事に励んでくれました。
逆の立場で考えると,復興状況もよくわからない被災地に,数ヶ月〜1年間にわたり応援職員として志願することが,どれほど不安で勇気のいることか?
彼らの任期が終わって東京へ戻る際は,人目をはばからず,涙を止めることができませんでした。
【3,復興マラソンでの応援】
2018年10月,東北・みやぎ復興マラソンに参加しました。
魂の激走の記憶は,こちら。
とにかく,被災地に住む人々の応援パワーがすごい!
ベビーカーの幼子と そろって手を振る おかあさん
はにかみ笑顔で手を差し出し ハイタッチを求める子どもたち
仮装して 歌って踊って 盛り上げる若者たち
橋の上のランナーに 船から立ち上がって手を振る おじさん
田んぼにポツリと立ち ありがとう,ありがとうと微笑む おばあさん
両足を踏ん張り 真っ赤な顔で声を張り上げる 応援団の学生
大漁旗を振り あきらめるな!がんばれ!と声を枯らす おじさん おばさん
かわいらしいチアダンスで 全身でエールを送る 少女たち
泣きぐずる赤ちゃんを抱え 懸命に手を振る おとうさん
これほどのやさしさと励ましに包まれて,肉体は限界を超えても,立ち止まることはできませんでした。
【まとめ】
長い人類〜地球の歴史から見れば,私たちの生きる100年間やそこらの時代など,一瞬の刹那でしかありません。
人類誕生を午前9時,現在を午後5時とすれば,100年前は午後4時59分59秒くらいのもの。
しかし,たまたま,この時代,この土地に生まれ,出会い,そして災害にあった。
このこと自体,天文学的確率の「奇跡」「縁」「絆」としかいいようがありません。
この感動と感謝を忘れず,次の世代へ引き継いでいきたいと思います。
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