【モノに心はある?】長年親しんできたテレビが壊れた日
大学入学時,冷蔵庫や洗濯機と一緒にテレビを買いました。
当時のテレビは,奥行きが50センチくらいあるブラウン管。
今ではすっかり見なくなったビデオテープを録画・再生できる一体型のテレビです。
テレビでは,様々なモノを観ました。
受験勉強から解放された大学入学当初は,毎日3,4時間くらいトレンディドラマ。
友人と酒を飲みながら,アダルトなビデオも観ました(笑)
映画にハマり,レンタルビデオを1日2,3本観て具合が悪くなったこともあります。
社会人になってからも,テレビ見ながら,ひとり晩ご飯を食べることが多い日々。
テレビは,私のそばに空気のように常に存在しました。
ある日,ひとり暮らしが終わりを迎えました。
彼女と同棲を始め,結婚したのです。
結婚式を終えて間もないある日,テレビが壊れました。
ザーザーと砂嵐状態になり,何も映らなくなったのです。
4度の引越しを乗り越え,13年間何事もなく動いてきたテレビが,映らない。
そうか,君も疲れたのか。
これまで,いろいろなものを観させてもらって,ありがとう。
その時ふと,ある考えが浮かびました。
私がテレビを観てきたつもりだったけど,テレビが私を見守ってきたのではないか?
うれしいとき,怒ったとき,悲しいとき。
家族や親しい友人以上に,テレビは私のことを見守っきてくれたのではないか?
そして,いつも危うげだった私がようやく結婚し,幸せそうな姿を見届けて,「もう,大丈夫」「そろそろ,お役目終了だな」と壊れてしまったのではないか?
そんな気がして,鳥肌が立ち,涙があふれてきました。
テレビを抱きしめるとあたたかく,ザーザーの砂嵐が一瞬だけ回復しました。
ただの偶然,ただの思いこみ。物に心などあるわけない。
そんな見方もあるでしょう。
「外的偶然,内的必然」という言葉があります。
表面的には偶然に起きた事象でも,よくよく事情を探ってみるとそれが起きたのは必然だったというもの。
「モノに心がある」と考えるのは不自然で非合理的な考えかもしれませんが,そう考えた方が,自身にとっても物にとってもあたたかで幸せな場合があると思います。
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