【阪神淡路大震災と東日本大震災】ふたつの震災がつないだ絆

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1995117日,阪神淡路大震災が発災。

当時,私は宮城で暮らしており,ニュースや新聞報道に心を痛めていましたが,関西とは縁がなく,どこか少し遠い出来事のように感じていました。

 

しかし,翌1996年,縁あって京都に住むようになりました。

そして,関西の多くの人たちから,「グランドピアノが50センチ跳ねた」「圧死が怖くて1階ではもう眠れない」など震災がいかに怖かったか,大変だったかという話を聞きました。

 

特に,兵庫のKくんは当時の状況を切々と語り,人生観が変わったという話は心に深く刻み込まれました。

 

また,「多くの人が気を遣って意外と話題に取り上げないのに,関心を持って聞いてくれてありがとう」「共感してもらうだけでありがたい」「阪神淡路大震災をいつまでも忘れないでほしい」との話も印象に残りました。

  

時は移り,2010年。

東京で働いていた私は,Kくんと路上でばったり再会。

Kくんはたまたま東京へ来ていたとの話で,久しぶりの再会を驚き,喜び,お互いの近況を報告しあいました。

 

2011311日,東日本大震災が発災。

宮城へ戻った私は震災復興業務に従事していましたが,なんとそこへKくんがやってきたのです。

 

「飛行機に積めへんから」「なかなか遠かったわ」と笑いながら,たくさんの人が復興を祈念して折った千羽鶴を模造紙に貼り,車で持って来てくれました。

道路も十分復旧していない中,遠路はるばる来てくれた彼の想いに心の底から感動。

千羽鶴は,職場にお願いして会議室に飾らせてもらいました。

 

2019117日で阪神淡路大震災から24年。

激甚な被害をもたらした阪神淡路大震災東日本大震災ですが,Kくんとは不思議な絆で結ばれていると感じます。

 

いまKくんは,某市長として獅子奮迅の日々を送っています。

どんなに多忙な日々であっても,1.17を忘れず,3.11も忘れないことでしょう。

 

私も忘れません。

そして,いつかきっと,Kくんから受けた恩は返すつもりです。

 

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