私の3.11 その③

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 201141日,東京から仙台市へ戻った私は,プロジェクト企画課という部署に配属されました。

震災のため,通常の人事異動が51日に遅れる見込みで,暫定的な配属でした。

 

発災から3週間が経ち,「今すぐ行動しないと人命が危ない」という時期は過ぎていました。

電気,ガスなどの都市インフラは復旧しつつあり,自宅で暮らせる方は避難所から既に引き上げていました。避難所にいるのは,津波で家が流された方や,宅地被害で家に住めなくなった方に限定されてきていました。

一刻を争う不眠不休で取り組まなければならない業務は,特段ないのだろうと思われました。

 

また,組織には,それぞれの役割があります。

人体であれば,脳には脳,心臓には心臓,胃腸には胃腸の「役割」があります。各自がその役割を全うすることで,全体として機能します。

私の組織の中でも,避難所運営,瓦礫処理,支援物資配分など,部署ごとの役割分担が明確になされていました。

 

当時の私の部署の担当業務は各種調整。

たとえば,温泉旅館の申し出を受け,長引く避難所生活を少しでも快適なものにできるよう,避難者を温泉へ招待する調整を行いました。

今となっては記憶が曖昧ですが,調整に手間を要して遅々として進まず,「こんなことをしていていいのだろうか?」「もっと喫緊にやるべきことがあるのではないか?」と悩みながら取り組んだ記憶があります。

 

そして,51日,震災復興本部・震災復興室へ異動。

室の最優先目標は,震災復興計画を半年以内に策定すること。

私は,復興計画策定のための支援業務担当となり,主に復興計画の説明会を各地域で開催しました。可能な限り市長自らが参加し,たしか40ヶ所ほどで説明会を開催したでしょうか。

 

市長は,いつ休み,いつ食事を摂っているのかと心配される過密スケジュール。実際,説明会の設営準備中,同僚は過労で倒れてしまいました。

市長は,「強力なリーダーシップが感じられない」など批判されることもありましたが,「市民に粘り強く,丁寧に説明して,可能な限り納得してもらおう」という「静かなる戦い」だったのだ,と認識しています。

 

説明会では,当局が作成した復興計画素案を住民に説明し,質疑応答などを行いましたが,特に津波被災地域では厳しい意見を頂きました。

 

中でも、災害危険区域(今後再び津波が押し寄せる可能性が高い区域には,半永久的に人が住めないよう制限する区域)の設定に関しては,強い反対意見がありました。それまで暮らしていた地域に住めなくなるわけですから,すんなり納得できないのは当然といえます。

ある地域では,激高した住民が,当局説明者のマイクを取り上げてしまう一幕もありましたが,「行政の責任として,人命や財産が失われる危険がある区域に,再び住まわせることはできない」と引き下がらず,粘り強く丁寧な説明に努めました。

 

こうした住民説明会のほか,復興計画策定委員会での議論やパブリックコメント等を踏まえ,9月議会で震災復興計画が正式に策定されました。

 

復興計画策定と前後して,9月頃からは,宗教団体から提供いただいた寄付金を元に,仮設住宅で暮らす1万世帯に石油ストーブを配布する業務を始めました。

宗教団体との調整や,被災者の住所等個人情報の取扱い,また提供業者の選定で苦労しましたが,冬が訪れるギリギリのタイミングで石油ストーブを送付することができ,感謝のお手紙を頂戴するなど,ようやく直接的な手応えのある支援を行うことができました。

 

また,さらにそれと前後して,11月頃から被災者支援システムの構築を開始しました。

システムエンジニアの知識もない中,「どうやったら,1万を超える仮設住宅世帯の属性を正確に把握し,今後の支援に役立てられるか?」を考え抜き,システムセンターや業者と時には夜中まで議論を交わしながら,システムテストやデータチェックを行い,突貫で6ヶ月ほどで完成させました。

 

多忙な日々ではありましたが,夏ごろから東京都の職員が応援勤務に来てくれるようになりました。

非日常業務が随時発生する状況下で,志願して応援に来てくれる存在は大変ありがたく,短い期間ではありましたが,被災者支援のため濃密な時間を過ごすことができたと感謝しています。

 

2012年3月末の送別会では,絶対に泣くまいと決めていたのですが,カラオケで森山直太朗の「さくら」を選曲し,「さらば友よ 旅立ちの刻」の部分で,自分で歌いながら真っ先に自分が感動して泣くという醜態をさらしてしまいました(苦笑)

 

社会人になってから,人前で涙を見せた記憶はほとんどありません。

震災以降,心身ともに異常な緊張状態が1年間ほど続いており,心の奥底に溜まっていたものが突如吹き出した瞬間だったのかな,と思います。

<完>